「宇宙と意識を考える――私たちは、なぜここにいるのだろう?」 | 一般社団法人 食と意識研究所 /  二村有里繪

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「宇宙と意識を考える――私たちは、なぜここにいるのだろう?」

第2回 なぜ人間は「自分はなぜ存在するのか」と考えるのか

――生きるためには必要のない「問い」を、私たちはなぜ持つのだろう

前回は、私たちの身体をつくっている物質を遡っていくと、宇宙の歴史にたどり着く、というお話をしました。

私たちは宇宙を外から眺めているだけの存在ではありません。

宇宙の中で生まれた物質から地球ができ、生命が生まれ、その長い歴史の先に私たちがいます。

そう考えていくと、私は次のことがとても不思議に思えてきます。

なぜ人間は、「自分が存在している意味」を考えるのでしょう。

今日はそこから「意識」について考えてみたいと思います。

生きるだけなら、「人生の意味」は考えなくてもいい

生命の基本的な営みを考えてみましょう。

食べる。眠る。危険から身を守る。子孫を残す。

生物として生存していくためには、こうした機能が必要です。

ところが、人間はそれだけでは終わりません。

「私は、本当はどう生きたいのだろう」

「この仕事を続けていていいのだろうか」

「なぜ私は、この人と出会ったのだろう」

「幸せとは何だろう」

「死とは何だろう」

「そもそも、なぜこの世界は存在しているのだろう」

そんなことまで考えます。

今日を生き延びるためだけなら、必要のない問いかもしれません。

それでも私たちは、考えずにはいられない。

私は、この人間の性質そのものが、とても興味深いと思っています。

「知りたい」は、どこから来るのでしょう

子どもは、何度も「なぜ?」と聞きます。

「どうして空は青いの?」

「どうして夜になるの?」

「人は死んだらどうなるの?」

大人になると、私たちはたくさんの知識を身につけます。

ところが、知れば知るほど、さらにその向こうに「わからない」が現れます。

科学も同じです。

身の回りの現象を理解しようとするところから始まり、物質を調べ、生命を調べ、脳を調べ、宇宙を調べていく。

そしてとうとう、

「宇宙はなぜ存在するのか」

「生命はどのように始まったのか」

「意識はどのように生じるのか」

という、非常に根源的な問いに行き着きます。

人間には、目の前の問題を解決するだけではなく、

「もっと知りたい」「その奥にあるものを知りたい」

という欲求があるように思います。

私たちは、「世界」をそのまま見ているわけではない

ここで、少し視点を変えてみましょう。

私たちは普段、「私はこの世界を見ている」と思っています。

けれど実際には、目から入った光、耳から入った音、皮膚への刺激、匂いや味などの情報を神経系が受け取り、脳が処理しています。

さらに、そこには記憶や経験、感情、期待、思い込みなども関係します。

同じ出来事を経験しても、人によって受け取り方が違うのはそのためです。

例えば同じ料理を目の前にしても、

「おいしそう!」

と思う人もいれば、

「太りそう」

「高そう」

「こんなものを食べていいのかな」

「子どもの頃に嫌いだった」

と思う人もいます。

目の前にある料理は同じです。

でも、そこで経験している「世界」は同じではありません。

ここに、私が食と意識の関係を考える面白さがあります。

私たちは、食べ物だけを選んでいるのではない

レストランでメニューを開いたとします。

本当は一番上にある料理が気になった。

でも値段を見て、

「今日はこれでいいか」

と安い方を選ぶ。

あるいは、

「みんなと同じものでいいです」

と自分の希望を引っ込める。

身体は、

「今日は温かいものが食べたい」

と言っているのに、

頭では、

「健康のためには、こちらを食べるべき」

と考えている。

こういうことは、誰にでもあると思います。

けれど私は、こうした小さな選択を長く見てきて、

食事の選択には、その人が世界とどう関わっているのかが表れやすい

と感じるようになりました。

我慢するのか。人に合わせるのか。正解を探すのか。損をしないことを優先するのか。

それとも、自分の感覚を確かめて選ぶのか。

食べることは毎日のことだからこそ、そこには私たちの無意識の習慣が現れやすいのです。

「何を食べたい?」は、意外に深い質問です

私が大切にしている問いがあります。

「今、何が食べたい?」

とても簡単な質問です。

ところが、すぐ答えられない人が意外にたくさんいます。

「何でもいいです」

「身体にいいものなら」

「家族が食べたいもので」

「太らないもの」

「安いもの」

答えているようですが、

「私は何を食べたい?」

には答えていません。

これは食事だけの話なのでしょうか。

私は、そうではないと思っています。

「何を食べたいかわからない」

その奥に、

「私は何が好きなのかわからない」

「私は何を望んでいるのかわからない」

「私はどう生きたいのかわからない」

が隠れていることがあります。

だから私は、食を入口にするのです。

「私はどうしたい?」を取り戻す

私たちは成長する過程で、たくさんの「正解」を学びます。

こうした方がいい。これはしてはいけない。人に迷惑をかけてはいけない。ちゃんとしていなければならない。失敗してはいけない。

もちろん、社会の中で生きるためには必要なこともあります。

けれど、外側の正解を優先し続けていると、

いつの間にか、

「私はどうしたい?」

という小さな声が聞こえなくなることがあります。

私はこれを、単純に「自分らしく生きましょう」という話だけにはしたくありません。

人間の意識には、周囲と協調する働きも、危険を避ける働きも、過去の経験から判断する働きもあります。

それらもすべて、私たちが生きるために必要なものです。

大切なのは、

自分が何によって選んでいるのかに気づくこと。

なのだと思います。

そして、最初の問いに戻ります

なぜ人間は、

「私はなぜ存在しているのだろう」

と考えるのでしょう。

科学的には、脳や認知機能の進化、言語、自己認識、社会性など、さまざまな角度から研究されています。

けれど、それだけではまだ「意識とは何か」という問いのすべてに答えが出たわけではありません。

だから私は、ここから先を皆さんと考えてみたいのです。

もし私たちが、

ただ生命を維持するだけではなく、

感じ、問い、選び、経験し、その経験からまた新しい問いを持つ存在なのだとしたら。

「意識」とは、いったい何なのでしょう。

脳がつくり出しているものなのでしょうか。

それとも、私たちがまだ十分には理解していない側面があるのでしょうか。

今日、一つだけ試してみてください

壮大な宇宙の話をしましたが、最後はいつもの食卓へ戻りましょう。

今日、何かを食べる前に、一度だけ自分に聞いてみてください。

「今の私は、本当は何が食べたい?」

正しい答えを出す必要はありません。

身体にいいものを選ばなくてもいい。

いつもと違うものを選ぶ必要もありません。

ただ、「私は、どう感じている?」

と自分の内側に意識を向けてみる。

そこが、食と意識研究所で考えていきたい「意識」の入り口です。

宇宙について考えることと、

今日のランチで何を選ぶか。

ずいぶん遠い話に見えます。

けれど私は、その二つはどこかでつながっていると思っています。

138億年という宇宙の歴史の先端で、今日も私たちは感じ、考え、そして選んでいる。

そう考えると、

「今日、何を食べよう?」

という小さな問いさえ、少し違って見えてくるのではないでしょうか。

次回は、「意識とは、いったい何なのだろう?」

脳と意識の関係、そして科学がどこまで意識を説明できているのか。

「わかっていること」と「まだわからないこと」を分けながら、一緒に考えてみたいと思います。

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